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触処生涯随分足

書評
01 /12 2011
 僕の部屋の机の前には何枚かの書が貼り付けてある。書といっても僕が半紙に書いた汚い書(こういうものは書とは言わないか…)なのではあるが、それでももう何年も前から貼ってある。
 その中の1枚に書いてあるのがタイトルの「触処生涯随分足」であり、「そくしょしょうがいぶんにしたがってたる」と読む。この言葉を知ったのは、澤木興道著「禅談」(大法輪閣)を読んでからである。澤木興道氏は、「宿なし興道」とも呼ばれたが、生涯自分の寺を持たずに、袈裟を下げ生き抜いた明治(大正・昭和)の禅の巨匠である。氏は日露戦争にも出兵し、その際に重傷を負うのであるが、その時の氏の姿(話)も勇ましい。
 「触処生涯随分足」とはその「禅談」の中の一つの題目となっている言葉なのであるが、その言葉の後には更に「未だ伎倆(ぎりょう)の人に如(し)かざることを」と続く。
 「触処生涯分に随って足る。未だ伎倆の人に如かざることを」~「つまりよく世間では人間が偉くなるとか、月給が多くなるとか、位が高くなるとか、そういう考えがあるけれども、仏教からみれば、技術が及ぶ及ばないというのではない。自分が自分というものにいつも落ち着きのあることである。どこでもバタバタせずに、自分の個々の境遇にどっしり落ち着いて、そこに最上最高の満足があるというのが禅で、これが真の安心であると思う。」(以上「禅談」より)という意味である。
 これを読んでから僕はこの「触処生涯随分足」という言葉が大好きとなり、僕もこうありたいと思い、机の前に貼ってあるのである。この言葉を見ただけでなんとなく心も落ち着いてくる。もしかするといつまでたってもペーペー状態の自分への慰めあるのかもしれないけれど…。それでも僕はこれが今の僕には一番の状態であり、どっしりと構えていればいい。来るべき時が来たら、それはそれでまたその時の僕があると思えるのである。
 僕はこの「禅談」を10年ぐらい前に買ったのであるが、ふとした拍子に、読み返してみたくなる。この中の話はどれも気持ちをスカッとさせてくれる。1話目の「最高の幸福」もいきなりスカッとさせてくれるし、「文化人の宗教」「武禅一味」「回光返照」等どれもストレートでかつ味があり、普段の僕たちのものの見方考え方とは違った型を提示してくれる。
 このブログを書いている最中も何度か顔をあげてはこの「触処生涯随分足」を見ては「よし!」と頷いています。少し自分の人生に迷いが生じた時などに読んでみるとよい本である。マッハ格好イイすっよ!


ホームページ「らいふあーと」もよろしくお願いします。
 
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Eikyo

これまでの人生を振り返れば、「生かされている」ということに気づきました。
只今住宅街にある小さなみかん畑で、自然との調和を心がけつつ、半農半X生活(と言っても、自給自足できるだけの食べ物をつくる程度の農業と今世の使命の追求)を目指して修行中です。
人生アッという間です。残りの人生を地球のお世話係りとして、21世紀(2050年)のライフスタイルを模索しております!!

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