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惜福

未分類
01 /01 2011
 あらためまして明けましておめでとうございます。
 先ほど近所の神社に初詣に行ってきました。子供のころからよく遊んでいた神社で、いつも僕のそばにいてくださる神社(神様)です。(途中12年ほど穴があきましたが…。)遊具は子供のころのものとは変わってしまいましたが、木々は今でも当時のもので、ずいぶん大きくなったものもあれば、高くなりすぎて切られたものもありますが、この木に登ったな…とか、セミを捕りに来たな…と思いだされます。
 それから神社のすぐそばにあるみかん畑に行き、(今年から親から引き継ぎ、私がメインで行います。)木々の様子を見てきました。
 年末にすでにいよかんは採ってしまったので、すでに木と葉っぱだけになってしまっているのですが、いくつかの木には採り忘れたみかんが2,3残っていました。このみかんを採ってもかまわないのですが、色もまだ青いし、そして何より1,2個は残しておいて鳥が食べるもよし…とのことでそのままにしておきました。頭に「惜福」という言葉が浮かんできたからです。
 「惜福」(せきふく)って言葉を知っていますか?文字通り福を惜しむということです。僕がこの言葉を知ったのは今から15年以上も前のことですが、棋士の米長邦雄さんの著書「運を育てる」(クレスト社)の中に出てきました。当時僕は大学5年生(?)でしたが、何度もこの本を読み返し、なんと数年間の間に17回読んでいるようです。というのはなぜかこの本の最終ページに正の字が書かれており、3つの正と2本の棒が残っているからです。よほど運を開きたかったのでしょうね。今思い出すと確かにあの頃は・・・若かったなあ。
 惜福とは明治の文豪幸田露伴の「努力論」に出てくるそうで、自分に訪れた幸福のすべてを享受してしまわず、あとに残しておくということとのこと。(「運を育てる」より)
 何故かこの「惜福」が僕の中に残り、「惜福しないと、惜福しないと…。」と思っていた当時の自分でした。(でも結局惜福行為など何もしませんでしたが…。)随分老けた学生だったのでしょう。確かに当時の写真を見ると老けている…。就職活動もあまり乗り気でなかったし…。停滞期だったのでしょう。(だから運を開きたかったのか!?)
 さてそのすっかり忘れていたこの「惜福」を思い出したわけですが、僕の現在の生活を振り返ってみると、あんまり「惜福」やっていないなあ・・・と反省している今現在です。よし今日は元旦、一年の計は元旦にあり。今年一年「惜福」しよう!いよかんも残してきたし!(でもいよかんって皮が厚いから鳥もつつけないんだな…。それに、オカンが見つけたら採るかもしれないな…。そしたら僕のこの行為は何だったんだ!)
 ちなみに幸田露伴は幸福論の中で「惜福」以外に「植福」(新しい福がめぐって来るように福を植えること。)、「分福」(福を1人で享受せず、周りに分け与えること。)を説いています。
 それではこのブログが少しでもみなさんのお役にたてれば、素晴らしき「分福」です。


PS: ホームページ「らいふあーと」もよろしくお願いします。
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Eikyo

これまでの人生を振り返れば、「生かされている」ということに気づきました。
只今住宅街にある小さなみかん畑で、自然との調和を心がけつつ、半農半X生活(と言っても、自給自足できるだけの食べ物をつくる程度の農業と今世の使命の追求)を目指して修行中です。
人生アッという間です。残りの人生を地球のお世話係りとして、21世紀(2050年)のライフスタイルを模索しております!!

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